ジョージ・マットソン先生

パンガイヌーン唐手(のちの上地流)と呼ばれた武術の教授は、当初は沖縄の人々のみに限られていましたが、1932年から日本本土の人々にも開かれるようになりました。

さらに時を経て、上地完文の最初の弟子であった友寄隆裕、友寄 隆光が、ある晩、友人であった若いアメリカ兵を自宅に招き、多くの沖縄の人々の間で話題となっていた武術「唐手」を見せたのです。

Ryuko Tomoyose sensei (Karate uechi-Ryu
友寄 隆光

友寄 隆光は、もう一人の先輩である金城さん(きんじょうさん)とともに、ジョージ・マットソンに三戦(さんちん)と身体鍛錬を実演しました。

若きアメリカ人はこの武術に魅了され、友人の「トミー」に自分が悪意を持っていないこと、そして現代で言うところの倫理的な方法で空手を学ぶつもりであることを示す必要がありました。

ジョージはすぐに友寄先生の熱心な弟子となり、また彼にとって最初の生徒となりました。ジョージと隆功は毎日一緒に稽古し、土曜日には上地完英の道場にも通いました。

当初、若いアメリカ人に対する周囲の受け入れはやや冷たかったものの(当時、沖縄はアメリカの占領下にありました)、稽古を重ねるうちに、他の生徒たちはジョージの誠実さと真剣な取り組みを認め、やがて彼も他の生徒たちと同じように正式な弟子として受け入れられるようになりました。

George Mattson à Okinawa (Karate Uechi-Ryu)
沖縄で稽古

ジョージと師匠は、長い夜を稽古に費やすだけでなく、上地流を統一・調和させることを目的としたプロジェクトにも取り組みました。当時、同じ流派の道場であっても、必ずしも同じ教えが行われていたわけではありませんでした。

プロジェクトが完成すると、トミーとジョージはそれを上地完英に提示しました。先生はその考えを興味深く受け止め、島内の他の師範たちを招いて議論を行うことになりました。

この議論は最終的に 上地流空手道協会(Uechi-Ryu Karate-Do Kyokai) の設立へとつながり、今日に至るまで存続しています。

Diplôme de Ceinture noire de George Mattson (premier occidental)

1958年6月15日、ジョージ・マットソンは師匠とともに上地完英の道場に呼ばれ、初段(しょうだん / Shodan)の昇段試験を受ける時がやってきました。ジョージは試験に合格し、沖縄で初めて黒帯を取得した外国人となりました。

The Way Of Karate : premier ouvrage occidental à traiter du Karate d'Okinawa par George Mattson
最初のアメリカ人による空手の本

ジョージ先生はアメリカにおける空手の先駆者の一人と見なされています。
彼はアメリカと沖縄の関係をさらに強化し、上地完英や師匠の友寄隆光との親密なつながりを保ち続けました。

Kanei Uechi et ses étudiants américains devant le Dojo de Futenma
普天間道場と上地完英

1980年代初頭以来、ジョージは上地流に特化した年次イベント Winterfest(ウィンターフェスト)Summerfest(サマーフェスト) を開催してきました。これらのイベントには、上地完英やその後の息子・上地完明が何度も招かれ、彼らの門下生も参加しました。

上地家の承諾を得て、ジョージは 国際上地流空手連盟(International Uechi-Ryu Karate Federation / IUKF) を設立し、英語圏やラテンアメリカにおいて強い影響力を持っています。

現在80歳を超えたジョージは、マットソン・アカデミー(西洋初の上地流道場)で、沖縄から伝わる上地流の価値観を今なお伝え続けています。

上地流伝承

ジョージ・マットソン先生は現在もリオネル・レイノーの師であり、友寄 隆光先生から受け継いだ教えをリオネルが指導し伝えるよう強く後押ししてきました。このアプローチは、ジョージが「古き道(The Old Way)」と呼ぶもので、友寄先生はこれを「周子和の道(Shushiwa Way)」と称していました。

リオネルは、マットソン・アカデミーだけでなく、フランスの欧琉館・プログラム、上地流伝承欧琉会実践コミュニティにおいても指導に携わっています。さらに2020年以降は、マットソン・アカデミーのインストラクターとして、アメリカ、ヨーロッパ、日本のオンライン学生を管理し指導しています。
加えて、フランスのトゥールーズでもクラスを担当しています。